『市民ケーン』感想と分析
まのけいです。
今回は有名な映画『市民ケーン』を視聴したので、その感想と分析をしたいと思います。
※『市民ケーン』のネタバレを含みます。
基本情報
『市民ケーン』は1941年のアメリカ映画です。白黒です。AFIアメリカ映画ベスト100*1で、第一位に選ばれている作品です。特に撮影技法を駆使した演出が高く評価されています。以下敬称略。
- 監督: オーソン・ウェルズ
- 脚本: ハーマン・J・マンキーウィッツ / オーソン・ウェルズ
- 音楽: バーナード・ハーマン
- 公開: 1941年 (日本での公開: 1966年)
- 時間: 119分
感想
- 大富豪ケーン氏が死ぬ間際に残した『バラのつぼみ』という単語を追っていく話、という時点で興味が湧いた
- 回想が頻繁に挟まる構成と、映画の時点が何年かという感覚が現在と離れすぎていたことによって、時系列を追うのが大変だった
- 回想シーン内で、一瞬で時間が経過したり戻ったりして、大変だった
- ケーン氏の孤独な人生が浮き彫りになっていく終盤のシーンは、ケーン氏に共感できない*2ものの、どうしようもないほどの人間らしさを感じた。
- 「『バラのつぼみ』はパズルの1ピース...無くしたピースだよ」の台詞が、妻の趣味とリンクしているのが好き
- 最初のインタビューであくまで市民だよ、と言っているケーンの言葉が嫌味にしか聞こえなかったが、徐々にその意味が真実味を帯びてくるのに驚いた
- オープニングシーンのテンポこそ悪いものの、その後のシーンテンポがよく、緩急が付いた構成だと感じた。
分析
この物語で最も長い尺で語られているのは大富豪のケーン氏についてですが、物語を前に進めているのは記者のトムソンです。主人公をトムソンとして考えて、彼がどうやってケーン氏の言葉の謎を解こうとしたか、を順に追ってみます。
『バラのつぼみ』について調べるよう上司から命令される→二人目の元妻に会いに行く、が話を聞けない→後見人の手記を見に行く→ケーンの相棒に話を聞きに行く→ケーンの同級生に話を聞きに行く→二人目の元妻から話を聞く→ケーンの城の使用人に話を聞く→遺品の整理に立会い、これ以上の詮索をやめる
葛藤という面で見ると、トムソンの葛藤は『バラのつぼみ』を追うかどうか、というのがメインの葛藤に思えます。 三幕構成で考えてみると、状況設定が終わるのが映写室のシーンなので、そこまでが第一幕。ラストシーンがケーンの城ですから、きっとその前の場所、すなわち元妻のいたナイトクラブ(?)のシーンまでが第二幕でしょう。この区分でいくと、第一幕が14分、第二幕が92分、第三幕が10分になります。1:5:1ぐらいの比率です。クライマックスが薄く感じるのは、そのせいかもしれません。PP1は上司から命令されるシーン。明確になった欲求は『ケーンの言葉の謎を解きたい』。PP2は元妻と話していて『私にはケーンさんが哀れに見えてきました…』というシーンでしょうか。明確になった欲求は『ケーンの言葉の謎を解くこと自体に意味はない』。画面に写っている時間が短いので、葛藤が薄いように思えますが、変化は確実にありました。
では、ケーン氏の葛藤について考えてみます。回想シーンですが、ケーン氏は作中でいくつかの決断をしています。一つは彼の没落のきっかけとなった浮気についてです。ケーン氏は浮気をネタに、知事選の立候補をやめろと脅されます。妻は子供のことを考えて、知事選をやめてくれと言います。が、ケーン氏はそれを断ります。これが最初の妻が彼の元を去った理由になりました。
もう一つは友人のリーランドについてです。リーランドはケーンの扇動的なやり方が気に食わず、反目します。ケーンはなんとか手元に置こうとしますが、二番目の妻のオペラ記事を書き上げられなかったことでリーランドをクビにしてしまいます。これもリーランドを切り捨てる、という決断です。
最期の一つは、二番目の妻のオペラについてです。誰にも望まれないのに歌を歌い続けるのは苦痛だと二番目の妻は訴えますが、ケーン氏はそれを許しません。これが二番目の妻が去る原因になりました。
どれもケーン氏にダメージを与えましたが、作中では彼が悩んでいる描写はありません。即断即決でした。それは彼が自分勝手で、他人に何も与えようとしない人間であるからでしょう。むしろ、リーランドや二人の妻たちの方がケーン氏を捨てるか、一緒にいるかで葛藤していたように思えます。
葛藤しない=他人の意見を聞かない=強い男に見えていたケーンが、妻たちを失い再び孤独になった結果『バラのつぼみ』とつぶやき出したことに意味があるのだ、とトムソンは捉えたのでしょう。葛藤がない=どうしようもない、という魅力を新たに発見しました。
頭を使わずに考えると、二番目の妻が去ろうとしているシーンがクライマックスのような気がします。なぜなら、彼が本当に孤独になるかどうかの境目が、そこにあるからです。もしかすると、回想シーンの中に意味的な区切りがあるのかもしれません。起承転結で考えてみると、第一幕にあたる部分が起で、承がずっと続き、第二の妻がケーンの下から出ていくシーンを転と考え、結を最期の城のシーンとしてみます。こっちの方がそれっぽい気もしますが、主人公は誰だったんだ、という気にもなってきます。
ケーン氏の周囲の人物による群像劇形式だったと考えてみるのもいいかもしれません。それらを束ねているのがトムソンというわけです。それぞれ三幕構成が立てられそうな気もします。が、今回とりあげるのはやめておきます。
まとめ
一文でまとめてみます。
トムソンが大富豪ケーンの過去を追っていく内に、彼の悲しさに触れ、これ以上の詮索をやめる話。
印象的なシーンや台詞が多かったです。昔の映画なので敬遠していましたが、素直に面白かったです。シーンのつなぎも効果的で、みなこれをみて勉強したんだろうな…という印象でした。 自分の願いだけではなく、相手の願いも叶えなくては愛とは言えなさそうです。『お前のためだ』と言っているときは大抵自分のためですよね。結局その言葉の裏に隠れているのは『お前のためだ。だから俺の言うことを聞け』ですからね...。割と言いがちですけど。
次回
次回は明るいアニメにしようと思います。
*1:2018年版はないようです。https://ja.wikipedia.org/?curid=2887922
*2:そもそも真の意味で他人に共感なんて土台無理なのだが......。